Aug. 24 / 2021

TOKYO 2020 Paralympics

パラリンピックがやって来る
パラリンピックがやって来る

      9.11 同時多発テロ ・・・2001年9月のあの日、20年後の今・・・



阪神・大山が左越えにサヨナラ2ランホームランを放つ
阪神・大山が左越えにサヨナラ2ランホームランを放つ
4日 阪神4x―3巨人(9回サヨナラ、甲子園)
 セ・リーグの首位攻防戦となった4日の阪神―巨人戦で、阪神・大山悠輔内野手(26)が9回裏にサヨナラ2ラン。阪神が初戦に続く連勝で、8月28日以来の首位に立った。SNSでも「ホームラン」「首位奪還」「大山くん」「ツーラン」「大山サヨ」など関連ワードが続々トレンド入り。ボルテージが上がった虎ファンの声が勢いよく吹き出した。
 「大山サヨナラツーランホームラン。涙が止まらん」「大山も調子上がらなくて心配したけど、やっぱりキャプテンはやってくれた…」「サトテルのサヨナラ予想してたけど、その前に大山が決めよった」「やっぱ大山は凄い男だ」などの声が殺到。ヤクルトファンとして知られる陸上長距離の神野大地(27)も「大山サヨナラホームランに興奮!」とツイートした。
 謎のトレンドワード「大山サヨ」には「野球用語が分からないツイッターさん、『大山サヨナラホームラン』を大山サヨで切ってしまう」「大山のおばあちゃんでも話題になったのかと思ったら『大山サヨ』ナラホームランだった」などの声が。元AKB48でタレントの倉持明日香(31)も「#名前みたい」「#サヨって名前かわいい」「#サヨナラ痺れた」などとツイートしていた。

 

整理をしていたら古い新聞、タイガースの2003年リーグ優勝の記事が載った新聞が出て来た。記事によると

亡くなった星野さんが就任2年目対広島マジック2が出ていてその広島との試合に3対2でサヨナラ勝ちだった。




       ベランダのアジサイが私達の誕生日に合わせて満開、、、祝ってくれてるようだ






キリンは来るかな?
キリンは来るかな?


             

       8月11日から降り続く大雨、8月19日木曜日、この日はもゴロゴロした。

 





8月11日から西日本中心で降り続く雨、何時になったらこの異常な天候は回復し、あの暑い夏に戻るのだろう。

コロナも毎日新規感染者がどんどん増えて全国では2万人とか、自宅療養の患者も増えている。そんな曇り空の朝が明けて外をみると不気味な雲、淡路島では大雨警報が出ているがその雨雲だ。ほどなく、ここ神戸でも

大雨警報と高齢者避難命令が出た。我が家は頑丈だし、高層なので非難はしなかったが、昼から雨も上がり、気分を変えてハモでも食べようかとバスで三宮迄出かけて買い求めた。ワインでハモ刺し、、いいねぇ、、。

 

  宮城県で撮られたライン雲:2016/12/27 ウェザーニュース
  宮城県で撮られたライン雲:2016/12/27 ウェザーニュース

                      ライン雲

 

私の歩んで来た道・音楽の楽しみ

誕生日に思う

 8月22日私は81歳の誕生日を無事迎えることが出来た。神さまに感謝だ。振り返ると長いようで短いこれまでの私の辿ってきた道、日本人の平均寿命は男子が81.41歳 女子が87.45歳(2019年)だそうだからまだこれからの私の人生幾歳月、もう少しばかりは頑張らなくっちゃ、少しばかりの病気を抱えてても、、奮闘しよう。

 そう、私の人生でずっと大切にし、楽しませて貰ったものが音楽の楽しみである。振り返ると我が人生には常に音楽があって音楽とともに生きて来た。1940年8月22日太平洋戦争のパールハーバーでの開戦の前年に神戸で生まれ、父の勤務地の旅順に行き、3歳で戦争が激しくなって帰国し父の故郷の佐賀県鹿島市へ、小学校入学で福岡市へ、そこで高校1年まで教育を受けた。皆が貧しい時代で私の家もご多分にもれず、小学校で覚えたハーモニカに夢中になった少年時代だった。中学では映画やラジオの音楽に聞き惚れ、高校1年になると父母が別居し関西に兄弟3人と母、それにアメリカ駐留軍の小学校教師のジャネットさんが日本で私達と共に暮そうとの希望で関西に転居、高校1年の時に学校も転校して兵庫県立伊丹高等学校へ、そこでジャネットさんが買って下さったクラリネットでブラスバンド部に入ってこれに熱中、大学は京都の同志社へ。そこで同志社交響楽団に入りエキストラで同志社大学マンドリンクラブに入りクラリネットで日本中を演奏旅行する経験をさせて貰った。大学を卒業、昭和38年大阪の関西テレビに就職、そこで音響効果の制作現場、仕事に着いた。  

 関西テレビ入社の頃、会社は阪急電鉄の社長で東宝やタカラヅカとも縁が深かった。カンテレでタカラヅカからミュージカルまで、勿論ドラマや番組の音楽までも担当して多くのプロとも知り合った。好きな道で大満足の会社勤めを卒業した2002年アメリカに住んでいる弟正徳とその長男圭太君が買った新居を訪ねて東海岸のノースカロライナの新居を訪ねて旅をした。圭太の家で家じゅうに微かに聞こえる音楽に気付き原因?というか仕組みを聞いた。彼が地元のFM局WCPE局をパソコンで受信してクラシック音楽を四六時中各部屋に引き込んだスピーカーから流していることを知った。このことを知ってクラシック音楽の好きな私は帰国して早速パソコンでアメリカのFM局WCPE局を探してパソコンからの音楽が流れるようにセット、外付けで小型のスピーカーの良い音のものも買って来た。パソコンを通して一日中音楽を聴ける環境、それを楽しみにしてこの歳まで過ごして来た。音楽は絶え間なく流れていてWCPEでないときはNHKFMを聴き毎日楽しんでいる。

 振り返ると小学校の頃はハモニカで音楽に夢中になり、中学生の頃は映画音楽やテレビの音楽番組に親しみ、高校のブラスバンドで行進曲や様々な曲を弾き、喫茶店でモダンジャズを聴き、大学でオーケストラやマンドリンクラブのトラで洋楽に親しみ、カンテレで邦楽から歌謡曲、劇番の音楽や凡ゆる音楽に親しみ、こんなに楽しい時間が沢山持てたことは満足、大満足である。今も変わらず、私は毎日音楽を欠かすことがない。

 カンテレの頃に選ばれて1カ月間アメリカ中を回る研修旅行をさせて貰った。ニューヨークから入ってロスアンジェルスから帰国するまで充実した1カ月、前にも後にもない素晴らしい時間を貰った。そこで当時人気が出だしたロックのQUEENが飛行場で日本の演奏旅行に出るのに出会った。QUEENは日本が好きで6度、1975、6年、そして1979年のこの年、Jazz Tour 14の公演の時、彼らを知った。この1975、76年がQUEENの第1次クイーンブームの時で、1979、81年が第2次クイーンブーム、そして1982年はボヘミアン ラプソディの上映の年、続く1985年が第3次クイーンブームの年とも言われ、未だに彼らの人気は衰えないが、私もロックバンドではローリングストーンとこのQUEENが好きだ。又ロックといえばエルビスプレスリーも大好きだ。その他ビートルズやマイケルジャクソンも好きな歌手である。演奏者としてはクラシックのカラヤン、ベルリンフィルやウイーンフィルで何度も聞いた。N響もいい。マイルスデービスやサッチモも・・・飽きることがない。

 本当に音楽は楽しい。ベートベン、モーツアルト、ショパン・・・素晴らしい音楽。

 81歳の私、これからも幾星霜、こんな素晴らしい音楽につつまれて過ごしたいものだ。Happy Birthday !!!

 

※ 2006年にNorth Carolina の圭太の家を訪ねて旅した様子は上の欄のLink にあり、開いてご覧ください。

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